Lingerie College | 講座情報

ランジェリースタイリスト
中 根 菜 穂 子
ランジェリーの学校「Lingerie College」主宰。
ランジェリースタイリスト
中 根 菜 穂 子
ランジェリーの学校「Lingerie College」主宰。
幼い頃からランジェリーが好きで、10代の頃からランジェリーの仕事を志す。
20歳の時、運命のランジェリーと出会ったことをきっかけにランジェリーを一生の仕事にしようと決意。
22歳株式会社ワコール入社後、東京の大手百貨店を中心に6年間で6000人以上のお客様の下着のお悩みを解決。
下着の悩み、下着が合わないことによるカラダの悩みの原因は情報不足によるものだと考え、ブログにて情報発信を開始。
ランジェリースタイリストとして独立後は、an・an,美ST,LDKなど雑誌でのスタイリスト、企画協力や個人のお客様向けのパーソナルスタイリストとして活動。ランジェリーブランドのイベントや企業・学校などでセミナーも行う。
2018年からはランジェリー業界未経験からランジェリーのプロになる「ランジェリースタイリスト養成講座」をスタート。
「ランジェリースタイリスト」という新しい職業が誕生することによりメーカー・販売店、消費者、ランジェリーを仕事にしたい人すべてが豊かになる社会を目指している。
Naoko NAKANE
Lingerie Stylist Lingerie College Representative and Lecturer
After working as a Wacoal store manager at a major department store in Tokyo, she became independent as a lingerie stylist and expert.
To date, she has solved 6,000 or more underwear concerns.
Currently, she is a stylist and cooperates in planning for many Japanese women’s magazines, and holds lingerie seminars by invitations from companies and universities.
She presides over a lingerie school and offers the only “lingerie stylist training course” in Japan to become a professional from inexperienced in the industry.
With the birth of a new profession called lingerie stylist, she is aiming for a society where manufacturers, retailers, consumers, and anyone who wants to work in lingerie will be enriched.
Since 2018, she has been covering lingerie and women from all over the world, including Salon International de la Lingerie Paris.
中根 菜穂子とランジェリー
中根 菜穂子とランジェリー
人生初のランジェリーは、憧れの女性とともに。
幼い頃(ブラを着ける年齢になる前)からランジェリーに憧れていた記憶があります。
きっかけはこんな出来事でした。
子ども時代、背が高くておとなしかった私は大人からかまってもらえるタイプではなく、
自分と周りの子を比べては寂しさを感じていました。
当時、スイミングスクールに通っておりそこで会う受付の女性だけは
他の子と分け隔てなく私のことも気にかけてくれていたので、私はその女性が好きでした。
ある時、その女性と着替える機会があり、その人が着けているランジェリーを見たのが
人生初ランジェリーとの出会い。
子ども心に「素敵な女性は美しいランジェリーを着けているものなんだ!」
「私も大人になったら、この人のような心優しい女性になって、美しいランジェリーを着けるんだ!」
そう心に決めました。
この日から、今につながる私とランジェリーの日々がはじまります。
本当の自分を忘れないために。
ランジェリーは唯一自分を表現できるもの。
10代の頃両親と反りが合わず、特に高校時代は、クリエイティブな職に就きたい私といい大学に入り、いい会社に就職してほしい両親と毎日のようにぶつかっていました。
おしゃれをしたい年頃なのに、それも許されず(肌の露出はだめ!髪の色は黒!etc)・・・
高校時代はお小遣いやバイト代をランジェリーにつぎ込み、ピーチジョン、ノーザリー、ボディーフォーカス、ラヴィジュール・・・etc 様々なブランド、様々なデザインのランジェリーを気分に合わせて着る、楽しむことで自分らしさを表現していました。
10代の頃、自分らしくいるための唯一の手段がランジェリーで「いつかランジェリーの仕事に就きたい」
そんなことを考え始めたのはこの頃です。
ランジェリーで起業を決意。
運命のランジェリーとの出会いで変わった私の現実。
10代の頃から「いつかランジェリーの仕事に就きたい」と思ってはいましたが、実際にその夢に向かって動き出したきっかけは1枚のランジェリーでした。
10代の終わりに急激に太ってしまい、カラダはパンパン&肌荒れがひどかった時代があります。
自分をコントロールすることができず、どんどん自分に自信がなくなっていきました。
恋愛もうまくいかない、やりたいこともできないのは私がキレイじゃないからでは?
キレイな子はみんなうまくいっているのに・・・。
そんなことを考えて、さらに自信をなくす日々。
ある日、偶然通りかかったランジェリーショップの前で優しい色合いのランジェリーに心惹かれ、そのショップに入店してみることに。
価格を見てみると、いつも自分が着けているブラジャーの5倍。
今は日本から撤退してしまったChloeのランジェリーでした。
販売員さんに声をかけられ「試着だけなら・・・」と試着をしてみると・・・鏡に映った自分はなんだかいつもより少しキレイで、自分のことを’いいな’と思えました。
そのランジェリーを3セット購入し、毎日のように着けているとどんどん自己否定感は和らぎ、現実が変わっていきました。
この体験からランジェリーは、バストを盛ったり、誰かに自分を魅力的に見せるためだけのアイテムではなく自分の心を変え、現実までを変えてしまう力のあるものだと確信を持ちました。
このことを伝えるべく、起業することを決意します。
ランジェリー起業の高い壁・・・株式会社ワコール入社。
10年以上前、ランジェリーでの起業といえば、自分のブランドをつくるか、ショップをつくるか。
当時あったランジェリーの学校を調べ、説明会や体験授業に出席しましたがブランドをつくることも、ショップをつくることもかなりの資金が必要だという事を知りました。
他にも理由はありますが、断念した一番の理由は資金。これが当時のランジェリー起業の現実でした。
起業の目処が立たず途方に暮れていた頃、縁あって株式会社ワコールに入社が決まります。
出勤初日は、ワコールの東京支社で研修が行われました。
会社と下着のことをしっかり学び、とても充実した研修だったのに、家の玄関に入った途端涙が止まらなくなりました。
「起業するんだ!」と周囲にも宣言し、起業準備をしていたはずなのに結局就職する自分が情けなくて、このまま20代が終わり、もう夢を叶えることは難しいんじゃないか。そんな思いが頭の中をめぐり涙が止まらなくなりました。
「現場を知ることは、自分のブランドをつくる上でも大切だ」そんなもっともらしい理由をつけて就職することにしましたが、本当は計画があったわけではありません。
夢いっぱいの未来が見えなくなった(と思っていた)入社初日でした。
転職活動失敗。起業の目処も立たず途方にくれた時に見えたもの。
入社2年目を過ぎると仕事にも慣れ、本当にやりたいことについてまた考えるようになりました。
当時一緒に働いていた先輩や上司にも自分のやりたいことを話し、企画職(ランジェリーをつくる仕事)への転職も視野に入れるようになりました。
実は2回転職活動をしているのですが、25歳の頃2度目の転職活動で「あなたのキャリアで企画職に行ける確率は1%」「ランジェリー業界はそもそも求人が少ないので難しいと思ってください。」と言われ途方にくれました。30歳まであと5年を切っている・・・。
この時、もう一度起業することを考えましたが、接客販売はできても、ランジェリーをつくること、商品の仕入れ等は素人。
その道のプロにも相談に行きましたが、やはり現実味はありませんでした。
そんな時「置かれた場所で咲きなさい」という本の表紙を本屋さんで見つけ「他の道は見えない。これしかないんだから、この仕事を極めよう」と、この場(販売職)で咲くことを決意します。
今までに増して、他社のお店で接客を受け、ランジェリーを購入し、商品を分析。
様々な立場に置かれているお客様の気持ちを考えてみたり、接客を学ぶため外部のセミナーに行き始めました。
ランジェリースタイリストとして独立。この職業にかけた想い。
20代後半。仕事のやりがいはあったしお客様、チームメンバー、会社の人、本当に素敵な方が多く充実した日々を送っていました。
でも、私にはやっぱり諦められない夢がありました。
20歳の時に経験したランジェリーで心が変わり現実が変わったことを広く世の中に伝え、ランジェリーを通して豊かな人生を送る人を増やしたい。
挑戦したい。
このまま30代になったらきっと後悔する・・・!そんなことを考えて独立を決めました。
「ランジェリースタイリスト」という職業は「販売員」とは違います。
「ランジェリーアドバイザー」「ランジェリーコンシェルジュ」とも違います。
お客様にあったものを提案すること、正しいアドバイスをすること
これはもちろん大切なことですが、それだけに留まらず「世の中にランジェリーを通して新しい価値を生み出す職業にしたい」という思いを込め「ランジェリースタイリスト」という肩書きで活動を始めました。

人生初のランジェリーは、
憧れの女性とともに。
幼い頃(ブラを着ける年齢になる前)からランジェリーに憧れていた記憶があります。
きっかけはこんな出来事でした。
子ども時代、背が高くておとなしかった私は大人からかまってもらえるタイプではなく、
自分と周りの子を比べては寂しさを感じていました。
当時、スイミングスクールに通っておりそこで会う受付の女性だけは
他の子と分け隔てなく私のことも気にかけてくれていたので、私はその女性が好きでした。
ある時、その女性と着替える機会があり、その人が着けているランジェリーを見たのが、
人生初ランジェリーとの出会い。
子ども心に「素敵な女性は美しいランジェリーを着けているものなんだ!」
「私も大人になったら、この人のような心優しい女性になって、美しいランジェリーを着けるんだ!」
そう心に決めました。
この日から、今につながる私とランジェリーの日々がはじまります。

本当の自分を忘れないために。
ランジェリーは唯一自分を
表現できるもの。
10代の頃両親と反りが合わず、特に高校時代は、クリエイティブな職に就きたい私といい大学に入り、いい会社に就職してほしい両親と毎日のようにぶつかっていました。
おしゃれをしたい年頃なのに、それも許されず(肌の露出はだめ!髪の色は黒!etc)・・・
高校時代はお小遣いやバイト代をランジェリーにつぎ込み、ピーチジョン、ノーザリー、ボディーフォーカス、ラヴィジュール・・・etc 様々なブランド、様々なデザインのランジェリーを気分に合わせて着る、楽しむことで自分らしさを表現していました。
10代の頃、自分らしくいるための唯一の手段がランジェリーで「いつかランジェリーの仕事に就きたい。」
そんなことを考え始めたのはこの頃です。

ランジェリーで起業を決意。
運命のランジェリーとの出会いで変わった私の現実。
10代の頃から「いつかランジェリーの仕事に就きたい」と思ってはいましたが、実際にその夢に向かって動き出したのは
1枚のランジェリーがきっかけでした。
10代の終わりに急激に太ってしまい、カラダはパンパン&肌荒れがひどかった時代があります。
自分をコントロールすることができず、どんどん自分に自信がなくなっていきました。
恋愛もうまくいかない、やりたいこともできないのは私がキレイじゃないからでは?
キレイな子はみんなうまくいっているのに・・・。
そんなことを考えて、さらに自信をなくす日々。
ある日、偶然通りかかったランジェリーショップの前で優しい色合いのランジェリーに心惹かれ、そのショップに入店してみることに。
価格を見てみると、いつも自分が着けているブラジャーの5倍。
今は日本から撤退してしまったChloeのランジェリーでした。
販売員さんに声をかけられ「試着だけなら・・・」と試着をしてみると・・・鏡に映った自分はなんだかいつもより少しキレイで、自分のことを’いいな’と思えました。
そのランジェリーを3セット購入し、毎日のように着けているとどんどん自己否定感は和らぎ、現実が変わっていきました。
この体験からランジェリーは、バストを盛ったり、誰かに自分を魅力的に見せるためだけのアイテムではなく自分の心を変え、現実までを変えてしまう力のあるものだと確信を持ちました。
このことを伝えるべく、起業することを決意します。

ランジェリー起業の高い壁・・・株式会社ワコール入社。
10年以上前、ランジェリーでの起業といえば、自分のブランドをつくるか、ショップをつくるか。
当時あったランジェリーの学校を調べ、説明会や体験授業に出席しましたがブランドをつくることも、ショップをつくることもかなりの資金が必要だという事を知りました。
他にも理由はありますが、断念した一番の理由は資金。これが当時のランジェリー起業の現実でした。
起業の目処が立たず途方に暮れていた頃、縁あって株式会社ワコールに入社が決まります。
出勤初日は、ワコールの東京支社で研修が行われました。
会社と下着のことをしっかり学び、とても充実した研修だったのに、家の玄関に入った途端涙が止まらなくなりました。
「起業するんだ!」と周囲にも宣言し、起業準備をしていたはずなのに結局就職する自分が情けなくて、このまま20代が終わり、もう夢を叶えることは難しいんじゃないか。そんな思いが頭の中をめぐり涙が止まらなくなりました。
「現場を知ることは、自分のブランドをつくる上でも大切だ」そんなもっともらしい理由をつけて就職することにしましたが、本当は計画があったわけではありません。
夢いっぱいの未来が見えなくなった(と思っていた)入社初日でした。

転職活動失敗。起業の目処も立たず途方にくれた時に見えたもの。
入社2年目を過ぎると仕事にも慣れ、本当にやりたいことについてまた考えるようになりました。
当時一緒に働いていた先輩や上司にも自分のやりたいことを話し、企画職(ランジェリーをつくる仕事)への転職も視野に入れるようになりました。
実は2回転職活動をしているのですが、25歳の頃2度目の転職活動で「あなたのキャリアで企画職に行ける確率は1%」「ランジェリー業界はそもそも求人が少ないので難しいと思ってください。」と言われ途方にくれました。30歳まであと5年を切っている・・・。
この時、もう一度起業することを考えましたが、接客販売はできても、ランジェリーをつくること、商品の仕入れ等は素人。
その道のプロにも相談に行きましたが、やはり現実味はありませんでした。
そんな時「置かれた場所で咲きなさい」という本の表紙を本屋さんで見つけ「他の道は見えない。これしかないんだから、この仕事を極めよう」と、この場(販売職)で咲くことを決意します。今までに増して、他社のお店で接客を受け、ランジェリーを購入し、商品を分析。
様々な立場に置かれているお客様の気持ちを考えてみたり、接客を学ぶため外部のセミナーに行き始めました。

ランジェリースタイリストとして独立。この職業にかけた想い。
20代後半。仕事のやりがいはあったしお客様、チームメンバー、会社の人、本当に素敵な方が多く充実した日々を送っていました。
でも、私にはやっぱり諦められない夢がありました。
20歳の時に経験したランジェリーで心が変わり現実が変わったことを広く世の中に伝え、ランジェリーを通して豊かな人生を送る人を増やしたい。
挑戦したい。
このまま30代になったらきっと後悔する・・・!そんなことを考えて独立を決めました。
「ランジェリースタイリスト」という職業は「販売員」とは違います。
「ランジェリーアドバイザー」「ランジェリーコンシェルジュ」とも違います。
お客様にあったものを提案すること、正しいアドバイスをすること
これはもちろん大切なことですが、それだけに留まらず「世の中にランジェリーを通して新しい価値を生み出す職業にしたい」という思いを込め「ランジェリースタイリスト」という肩書きで活動を始めました。
これがランジェリースタイリストになるまでに歩んだランジェリーと私の歴史です。
現在は、ランジェリースタイリスト業と並行して
Lingerie Collegeというランジェリーの学校を主宰し
ランジェリースタイリストを育成しています。
まだスタートして数年ですが、想いに共感した仲間が全国に誕生しています。
ランジェリーは幼い頃から私の心の中にいつもありました。
その思いはいっときも冷めず、20年以上の月日がたちます。
仕事にしてからも10年以上経ちますが、嫌にはならないし、飽きもこない。
この10年間、何度もランジェリーに救われました。
この話をすると「ランジェリーは中根さんの一部なんですね。」と言っていただくこともありますが、私にとってランジェリーは人生そのもの。
だからこそ、私が信じる「ランジェリー」で社会に貢献することが私の使命だと思っています。
Lingerie life Mag を通して、あなたの人生が豊かになりますように。
2021年8月吉日
中根菜穂子
これがランジェリースタイリストになるまでに歩んだランジェリーと私の歴史です。
現在は、ランジェリースタイリスト業と並行してLingerie Collegeというランジェリーの学校を主宰しランジェリースタイリストを育成しています。
まだスタートして数年ですが、想いに共感した仲間が全国に誕生しています。
ランジェリーは幼い頃から私の心の中にいつもありました。
その思いはいっときも冷めず、20年以上の月日がたちます。
仕事にしてからも10年以上経ちますが、嫌にはならないし、飽きもこない。
この10年間、何度もランジェリーに救われました。
この話をすると「ランジェリーは中根さんの一部なんですね。」と言っていただくこともありますが、私にとってランジェリーは人生そのもの。
だからこそ、私が信じる「ランジェリー」で社会に貢献することが私の使命だと思っています。
Lingerie life Mag を通して、あなたの人生が豊かになりますように。
2021年8月吉日
中根菜穂子